さよなら、まいまいつぶろ

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[まいまいつぶろの二階の写真:既に少々取り壊し中]

皇居へ桜を撮りに行った帰り、御茶ノ水駅前で「まいまいつぶろ」のドアが開いていました。
Vespaを慌てて停め、お店に飛び込みました。
ガァ: すみません、中、撮らせて頂いて宜しいですか?
ジェントルな方々: もう壊してしまうので、その前にどうぞ。
ガァ: 昔、何度も呑んだもので..


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[まいまいつぶろのカウンター:既に少々取り壊し中]

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[まいまいつぶろの入り口の黒電話:ピンボケですみません]

ガァ: マスターは入院中と聞いているのですが..
ジェントルな方々: お待ちください
(聞き合うジェントルな方々)
ジェントルな方々: 分からないみたいです。
ガァ: そうですか..
ガァ: (写真撮らせて頂いて)ありがとうございました。
ジェントルな方々: いいんですよ。
当時、最後の砦でもあり、貧乏臭くも思えたあの場所、いまみると欧州風の光が僅かに漏れていた感です。
まるで、かつて画家が暮らしたアトリエの様でした。
もう少しお金があったら、あの看板のまま、自分がお店を続けてみたかったです。
無口なふりして。
ガァ

追記:2018/05/03
こちらの記事はアクセス数が多いもので、サントリー様の公式サイトで当時掲載されていた店舗の記事もこちらに載せておきます。→ 吉村喜彦のトリス・バー探訪 > お茶の水:まいまいつぶろ
(Internet Archiveさん経由のコンテンツですので画像はほとんど失われていますが、ページ下のNextボタンは生きていますので全記事閲覧可能です)

Comment

  1. TAMAO より:

    まいまいは少なくとも去年の三月から閉まっていると聞いています。
    ボトルが一年もそのままだった様子が悲しいです。
    私もまいまい買い取りを考えました。
    きっと多くの人がそう考えたと思います。
    せめてそのままの雰囲気を残したお店になってほしいと願っていました。
    やはり一念発起するべきだったのか・・・
    あの空間が無くなってしまう。。。
    現実がこんなに悲しいことだと実感しました。

  2. SUKIYAKI より:

    TAMAOさん
    コメントありがとうございます。
    この一年、扉が開く機会は僅かだったのですネ..。
    もう少し早く気付いていたら、ご一緒に共同経営とか出来たのかも知れません。
    ただ、二階の奥に向かう途中、自分の体重で床が沈み込んだりでした。
    階段も、抜けてしまいそうなくらい。
    建物も既に限界だったようです。

  3. Ryou より:

    先週金曜日。久々に行ってみたら、青いビニールシートが、かかっていてびっくりした!この後、どうなるんですか?マスター、ご病気だったら、心配です。
    二十年以上前、学生の頃、頻繁に通いました。二階席で友人と喧嘩になって、マスターに追い出されたのが懐かしい。ホント悲しいです。

  4. SUKIYAKI より:

    Ryouさん
    書込みありがとうございます。
    他所のコミュニティではカレー屋さんになるという噂が出ていました。(真偽の程は不明です)
    マスターのその後も不明です。
    皆さん、思い出の詰まった狭い空間だったのですよね。
    自分が通っていたのは20~15年前でした。通りの雰囲気は幸いにもまだ残っている感です。
    以下のサイト、なかなか懐かしいものがありますよ。

    Access Denied
  5. Ryou より:

    SUKIYAKI さんは夜間学生だったとのこと。
    私も夜間学生でしたよ。お金が無いけど、まいまいなら、気持ちよく酔えました。もしかしたら、まいまいのカウンター、あるいは二階席で隣り合って座っていたかも知れませんね。
     しかし、あの店、本当に良かったですよね。店のたたずまいも、マスターのキャラクターも・・。一月も前に売りに出ていたとは・・。あのカウンターも、階段も無くなってしまうなんて。何もできず、不甲斐ないです。こうやって、茶水から、いい店がどんどん姿を消してしまうんですね。

  6. かずひと より:

    もう、あんな居心地のいい店は見つからないだろうな…。
    あれから20年くらい経ったなぁ…。
    貧乏学生のボクでも充分飲めたのに…。
    店、継ぎたかったなぁ・・・。

  7. SUKIYAKI より:

    かずひとさん
    コメント忘れておりました。
    すみません。
    御茶ノ水界隈の味ある風景、じわじわと失われています。
    レンガ造りのキャンパスとか、古本屋街とか。
    カメラ持って、当時を周ってみたいですよ。
    安いだけの飲み屋なら探せばあるのですが、あの雰囲気はなかなか再現できません。
    ガァ

  8. moi より:

    かずひとさん、まいまいつぶろを思い出してなんとなくネットで検索していたら、このページを見つけました。私もまいまいつぶろがなくなったとき、かなり本気で引き継ぎたい、と思ったほどのまいまいつぶろファン。ただその時、自分の長いあいだの夢だった海外へ出てみることをすすめていたため、実現はしませんでした。で、今、パリに住んで3年になります。今もまいまいつぶろのこと、よく思い出します。いつかきっとほとんどのものが消えてしまうわけで、仕方ないことなのだとうけど、やっぱり今も懐かしいしそしてちょっとせつない、かな。このページはだいぶ以前のものだろうから気づいてもらえるかわからないけど、まいまいつぶろ大好きなものの一人としてメールを送らせていただきます。それでは。

  9. moi より:

    ごめんなさい、sukiyakiさんですね。あ~、ごめんなさい。いろいろごちゃまぜになってわからんかった~。

  10. SUKIYAKI より:

    moiさんへ

    コメント、ありがとうございます。
    のびた君の机の引き出しに通じる、不思議なドアのお店でしたよ。
    細長いお店の奥を抜けたら、そのままヨーロッパに行けそうな。

    取り壊し直前に二階へ上がらせて頂いた時、階段や床のキシミ音がかなり危なかったです。もう、限界だったんだろうなぁって思いました。
    自分がまいまいに通っていた時代は、バブルの頃に重なりまして、それとは無縁の貧乏学生が多かった記憶です。ただ、知性を感じるお客さんが多かったかもしれません。
    マスターも、そんな若者達を眺めるのが楽しかったのかもしれません。

    明日もあるだろうと思って、社会人になってからは遠のいていたお店でした。
    でも、聖橋から伺うあの並びは、未だかわらず日本離れしていますよ。
    昼も夜も美しいです。

  11. yosshy より:

    私も、1988から3~4年程お世話になりました。今はなき、明大の夜学に通っていました。先輩に連れられて、お店を知り、サークルの帰りや、友人達と何度も訪れました。
    主に2階を利用しており、先輩達に頼まれて、1階のマスターに注文をしに行くと、いつもの仕草で、オーダーを聞き、頷いて下さったのが、昨日のように思い出されます。
    ハイボールやジントニック、ジンライム、バイオレットフィズなど、このお店で覚えたようなものです。サラミとチーズの盛り合わせや、品川巻きと言うのり巻き煎餅とバターピーナッツ(品ピーと呼んでいたなあ。)が、つまみの定番でした。
    若者にありがちな略語?で、「つぶろ」行く?などと、言いながら、何度も訪れ、「マスターがいいよなあ!」「マスター、宮本さんって言うらしいよ?」「謎に包まれている感じがいいよなあ!」などと話しながら、先輩や友人達と馬鹿話に花を咲かせていた頃が懐かしいです。
    閉店を知らずに、たまたま何回目かの転職後に立ち寄ろうとした時に、閉店していたことを知り、ショックと同時に時代の流れを感じたものでした。それももう7年程前のことになります。
    もう、息子があの頃の自分の年を越えてしまったなんて、実感がわきません。
    マスター、ありがとうございました。どこかで、お元気でいてくださることを祈るばかりです。

  12. SUKIYAKI より:

    yosshyさん
    コメントありがとうございます。
    自分と同じ時期にお店通っていた様子です。
    当時の明大はレンガ造りの正面が素敵でした。学園祭にはその広場にリングを構えて本気のボクシングとかやっていて。
    青春の門の延長みたいで。御茶ノ水は当時から古臭さが素敵だったんです。
    松田優作さんの「探偵物語」に登場する事務所も近かったらしく。あの謎めいた感にも近く。

    当時の自分は近くの私大の職員で、夜は田町方面の単科大に通っていたんです。
    今は寂れたmixiの方にも「まいまいつぶろ」のコミュニティを当時立てていました。気が向かれたら覗いてみてあげてください。
    マスターの消息に詳しい方も何方かいらっしゃった記憶です。

  13. ゆうちゃんとさえちゃんのパパ より:

    通りすがりです。静岡からです。
    まいまい閉店したんですね~。若い頃お金がない時にちょくちょく会社の同僚と通っておりました。

    無口なマスターの独特な雰囲気は今でも忘れられません。
    ビールの小瓶の存在を知ったのもまいまいでした。
    当時独身だった私も静岡に移住し、結婚し、娘の成長が楽しみなパパとなり、長い間東京を離れてみますと不思議とあの頃を思い出します。
    思い出が一つ一つなくなっていくとは寂しいものです。

    ヌシさま、よくぞ写真を残して下さいました。感謝です。ありがとうございました。

    • SUKIYAKI より:

      ゆうちゃんとさえちゃんのパパさん、コメントありがとうございます。
      ビールが小瓶だったの、自分も忘れかけておりました。ともかく、どのドリンクも安かったですもんネ。
      景気の良さが実感できない現代ほど、貴重に思える存在でした。
      飾りっ気無かった店内、この季節はどのドリンクもよく冷えていたなぁとか、夏のまいまいも素敵でした。

  14. 古市 より:

    小生60歳。たまらず書き込みさせていただいています。つぶろ、寡黙な宮本さんへの想い、何が何でも忘れたくないのです。こうして、同じ思いを抱いている諸氏と出会えて、安堵しています。私だけではなかったのだと。あの不思議な時間に吸い寄せられた私たち。
    いつかどこかで。マスターは、ひょっとしたら。それを私たちに託したような気がします。
      ー岩手在住、H/F生

    • SUKIYAKI より:

      古市さん
      こちらの記事にもコメントありがとうございます。
      大学時代の私はお酒の味をよく判っていなかったと思います。まいまいつぶろに伺う際は、つれか私が何かの悩みを抱えていた場面ばかりで、酔い潰れて忘れる駆け込み寺みたいな存在でした。
      社会人になってからの私はお酒の量が増えがちでした。もともと大した量を吞めなかったのですが、休肝日など健康診断の前夜くらいで。
      身体を壊した訳ではないものの、お酒が無いと寝れない体質になったことに気付き、しばらく前から禁酒を続けています。既に四週間を超えたところです。

      お酒を止めてから体質の変化は大きく、色々と驚いているこの頃でもありました。全てが良い方向に傾いています。
      ただ、「あの頃のまいまいつぶろで呑もう」と誘われたら、断れそうもないです。二日酔いが目に見えていても。^^