ドアサイド

高校時代の同級生H君は一風変わっていたからか、周りから馬鹿にされてしまう場面が多かった記憶です。
だいたい、理系科目が全く不得意なのに何故に理系に来たのか。当然ながらH君の成績もパッとせず。
ただ、自分にとっては何故か親近感のわく男でした。
お互い乗り物や音楽が好みだったのもあるのですが、不器用な点が一致していたのかも知れず。

しかし、高校卒業時にH君は何故か地元の私立大学に複数合格していて。
担任から自分も地元の大学の受験を薦められたものの、家族からは一校しか受験が許されず、学費が高い割にレベルもそれほど高く無い地元の私立など選択外で。都内の安い夜間一択でした。(ちと失礼な書き方をしましたが、あの年の受験倍率は道内もかなり高かったそうで、合格は容易じゃ無かったそうです)
数年後の大学卒業時、H君は国家公務員の二種や会計関連の公務員試験に合格していて、文系脳は強かった様子。

自分は都内の私立の夜間大学に進み、昼間は働きつつ、過密なスケジュールを何とかやり繰りしつつ、せめて夏ぐらいは地元に帰ろうと。
自分は実家に何の連絡もせず突然帰省するようなドラ息子だったとも思えます。
自分は実家と仲が悪く、友人達との再会が楽しみなだけの帰省でした。
そんな自分でしたので、実家に帰っても喧嘩になってしまう場面が多く。
まぁ、招かざる客の一人だったかも知れません。

大学時代のH君は自動車部に所属していたらしく、地元の空港で荷物を扱うアルバイトに励みつつ稼いだお金は車の改造と燃料代に消えていた様子。
自分が帰省すると、アルバイトを終えたH君はドライブに誘いに来る場面が多く。
帰省していた同級生達や浪人生達と一緒に名所を巡っては、馬鹿な事ばかり楽しんでいました。今なら許されるだろうという人様に迷惑掛けない範囲の確信犯。
しかし、アルバイトに励み過ぎのH君は深夜の運転で居眠りしてしまう場面が多く、タイヤが縁石にぶつかり跳ね返された場面も幾度か。
なので、H君の運転中はなるべく会話が途切れないようにしていました。

東京で暮らしていた自分の部屋には、受験で訪れる友人や旅行で立ち寄る友人が何人も居ました。
北海道の友人達の現状報告も聴けたりして。
浪人生:Hの奴、また車潰したらしいぜ。支笏湖に向かう何てことない直線でレビンを引っ繰り返したんだってさ。
SUKIYAKI:大丈夫だったの?
浪人生:それがさ、一緒に乗ってた奴から聴いたんだけど、Hの一言がおかしくてさ。
SSUKIYAKI:何て?
浪人生:またやっちまった。。

まぁ、全員無事だったからもありますが、大笑いでした。
奴は既に三台つぶしていた記憶です。どんどんボロい車に変身していました。
見た目は大衆車でしたが、お金の掛からない範囲で色々とラリー仕様にしていたらしく。
当時はバブル時代の真っ盛りで、H君のやっていることは真逆。軽い車体にパワフルな2000㏄のエンジンを積んでいるとはいえ、古臭いカローラに魅力を感じる乙女は居ないだろうになぁと。

大学卒業の年まで四輪の免許を所有していなかった自分は、とりあえず二輪の運転にだけは高校時代から慣れていて、帰省時にH君から「運転してみるか?」と聞かれたことも。
深夜に対向車のないど田舎の直線、街灯だけは明るく。試しに運転席へ。
発進は出来たもののこれが真っ直ぐ進まず、ハンドルを切り返しの繰り返しは蛇行運転でしかなく。ギアーチェンジも上手く決まらず、百メートルくらいで諦めることに。
んな「一速で回すな!」とか言われてもなぁ。ともかく、四輪は真っ直ぐ走らせるのも大変なんだなぁと。

余談ですが、そんな経験もあって数年後の教習所では実技が心配でした。最初はオートマでの実技。これが全く問題無く運転出来て。
H君のあの車はいったい何だったのか?
どうにもラリー仕様の車は簡単に曲がれる特性らしく、逆に直進させるのが大変らしく。そんなもんのハンドルを握らせたH君は危機管理がなっていないよなぁと。

話は戻ります。ともかく、帰省時の自分は養父と喧嘩ばかりで。
実家で険悪なムードの夜ほど、H君はドライブに誘ってくれて助かってはいました。自分の愚痴も沢山聴いてもらえて。
大学時代の帰省は長くても一週間くらい。東京に戻って学費と生活費を稼がなくてはならなかったですし、そんなに長いお休みも職場で頂けず。

H君は東京に戻る自分を空港まで送ってくれたことも。
その車の中で妙な会話がありました。
H君:空港で荷物預ける時「ドアサイドで」って頼むと東京で最初に荷物が届くから使ってみろよ。
SUKIYAKI:でもお金お金掛かるんじゃないの?
H君:本来は高いシートのお客さん専用なんだけど、大丈夫。
SUIYAKI:そんなに急いでいないし、無理言う必要も無いよ。
H君:いいから一度使ってみろって。

自分の乗る便まで尋ねられて、ぶっきらぼうな奴にしては何でそんなどうでも良いことに拘ったんだろうなぁと東京へ。
羽田のベルトコンベアでは確かに先頭辺りで「ドアサイド」の札の付いた荷物が登場しました。世の中にはこんなサービスがあるんだなぁと。
でも、朝一の飛行機に乗った自分は午前中の到着でしたし、午後からの予定も無く滅多に使わない空港で少しくらい待たされるのも悪くなかったのに。
空港の雰囲気も好きでしたし。

自宅へ戻った自分はお土産の紙袋以外、帰省に使った鞄はそのまま床に放置。
トラピストのバタークッキーは見た目が悪いものの、これは意外に美味しくサッサとみんなに配らなければ。

東京の現実は厳しく、また今日もやらかしたな日々に戻り。数日経った頃、必要に迫られ鞄の中身を片付け。
小汚い鞄の中身を床に放り出すと、鞄の小さなポケットが膨らんでいて。
チャックもボタンも無いこのポケット、荷物預ける前に空っぽにしたハズなのに。何入れたっけ?

ポケットから出てきたのは、旅客機のシートに必ず備わるゲロ袋。飛行機で酔ってしまった人がゲロを吐くための袋で、正式名称は知らず。
「なんじゃこりゃ?」とそのままゴミ箱へ投げ捨てる寸前、袋には殴り書きが。

『イーヅカ、元気でな!また来いよ!』

声を出して泣いてしまった。
お前って奴は..

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