本日は、神田祭の準備作業が町会でありました。
いつもの皆さんが揃ったので、作業自体はすぐに終わった感です。
作業後、永井紙器さんの事務所で打ち合わせがありました。
以前から気になっていたのですが、永井さんの事務所の応接に飾ってある写真、いつか転載させて頂こうかと思っていました。本日、やっと撮れました。(機会をみて、町会のHomepageにも載せる予定です)
写真の下には「昭和20年3月10日 大空襲の跡」と手書きの文字が薄っすら残っていました。
上の写真をクリックしますと、拡大表示されます。
神田明神の男坂頂上辺りから、「妻恋坂」交差点辺りを中心に撮られた作品だそうです。現在ですと、妻恋坂の交差点はファミリーレストランのジョナサンがランドマークです。
いま、同じ方法で撮ろうと思っても、目の前のビルの側面しか残せません。
この日を検索したところ、東京大空襲の当日でした。
画像でもっと詳しいサイトがあります。ただし、パソコンで音が鳴らせる環境の方は、ボリュームを落とした方が良いです。
また、心臓の弱い方は覗かない方が良いです。
東京大空襲の写真集
ここで、戦争云々について語るつもりは自分にありません。有史以来、それの無かった時代の方が世界的に稀な感もあったりですが、それを自分で綴ったところで、経験者の方からみたら、生易しい未経験者でしょうし。
ともかく、平和な時代に生きていて良かったと思っています。
Comment
[…] 自分は否定も肯定も出来ない感です。それを知る人と直接お話出来たワケでも無いので。 江戸の町並みは何度か塗り替えられています。明暦の大火であったり、大正時代の大震災であったり、第二次世界大戦の大空襲であったり。 明治の頃の地図と震災後、空襲後の地図を見比べると相当な違いがあり。現在の道路網とは別物に近く。 当時は道だった場所が現在は建物だったり、その逆も十分にありそうです。 因みに、過去に載せた記事では東京大空襲直後の写真があります。地元の方が空襲直後に神田明神の男坂から上野方面を撮影したものです。この焼野原状況ですと、それまで残っていたとしてもこの時点では厳しそうです。 空襲からしばらくは、地元の妻恋神社も一時的に遷座していました。 […]
[…] あと、ここまでの流れで思ったことです。 超大国、軍事大国でもあったロシアなのですが、意外に脆い(もろい)もんだなぁと。 しかし、ロシアの人口を検索したところ、日本の人口と大差無く。 小国であるウクライナは多くの国から様々な支援を受けているとはいえ、怯まず(ひるまず)強いなぁと。士気の違いなのか。 都心の下町で暮らしていた頃、地元の古い写真に考えさせられたりでした。東京大空襲直後の秋葉原界隈は焼野原そのもので。 と、綴っていたら終わりの無い話になりかけたので、ここまでで。 […]