身近だったこと

嘗ての知人の話です。
長年近しい関係だった知人Aです。
独特の見た目やトークや性格で、子供の頃から友人に馬鹿にされるAでした。Aは学業成績が優秀だったものの、体育が苦手で授業をサボるばかり。先生方も困っていました。
一見真面目そうなAではありましたが、陰では本人より弱い立場を虐めたり騙したり。特に親の居ない場面でAは弟達への虐待が酷く、その声は周囲にも響き、近所の母親達が心配していました。
大きな青あざを残した弟達は学校でも心配されていました。
大人になった弟達にあれはトラウマになりました。

Aは同世代の女性から相手にされなかったからか、幼女のヌード写真のコレクターでもありました。当時は合法ではありましたが。他にも幼女をもてあそぶ漫画が何冊も。
万引きで捕まった際は女性店員を殴り倒し、逃走しかけたもののお客さんに取り押さえられ。この事件は翌日に弟達の学校でも話題になり、弟達は肩を落としていました。
Aは優秀な大学に入学し、家庭教師のアルバイトを始めた際も問題を起こしています。密室で中学生のお嬢さんに何度もイタズラを仕掛けました。これも弟達の学校で話題になりました。

影での行動に限らず、表でもAの言動はおかしく。
「あの人どうなってるの?」と話題になる場面が幾度もありました。電車やバスで知人を見つけたAは一方的なトークでその声は甲高く吃音も混じり。
車内にはAの声が響き渡り、異様なムードでした。
そういった話も弟達の耳に入っていました。

当時は他にも色々と問題がありました。
通学の定期券の偽造がバレそうになったAは何も知らない弟に切符を買いに走らせたり、中学生になった弟に体格も体力も抜かれたAは寝ている弟の前で直立し、弟の頭に足を乗せ体重を乗せ。
「調子に乗るんじゃねえぞ」と脅し始め。こんな手口でしか立場を守れないAでした。
弟達が早く実家を離れたかった理由の一つもAの存在にありました。
子供の頃は他の家庭でも程度の差こそあれ、似たような場面があるのかも知れません。問題は、大人になってからもAはそのままだったことです。

Aは社会人になって何年目かに、職場で発狂しました。
診察結果は統合失調症でした。「僕はジーザス(キリスト)の生まれ変わりだというのに、皆僕の言うことを聴かない!」と訴えていたそうです。
入院期間に症状は和らいだのですが、その後は双極性障害が続いています。

近しい人からするとAは元々おかしかく、病気がそれを増幅させただけにも思えました。
その後は「病気だから仕方ない」で許される場面が増えました。
しかし、人格を疑う言動では相手を困らせたり怒らせたりする場面もありました。
Aは病気で無意識に迷惑を掛けている訳でもありませんでした。意図的に嫌がらせを仕掛けてニヤニヤと喜ぶ場面も少なくなく。
A自身は本人が特別な存在という意識が強いようで、何をやっても許される感覚だったのだか。
なので、近しい人はAから徐々に離れました。トラブルが多過ぎました。
A本人から離れたケースも少なくなく。そこで「縁を切ってやったんだ!」と豪語するAなのですが、相手からすると縁を切られたどころでデメリットなど何もなく。実際は寧ろその逆でした。
深夜でもお構いなしにハイテンションなトークで電話を掛けてこられても困りますし、何を言っているのかよく解りませんし、電話に出なければ不機嫌になりますし。
逆に何かの薬の影響なのか、ヘロヘロの口調で何を言っているのか解らない場面もありました。

本人から縁を切ったにも関わらずAの嫌がらせは続きがちでした。相手を悪人に仕立てる為に妙な解釈の悪い噂を広げがちでした。
何も知らない人はそれを鵜呑みにすることも。弱者や敵とみなすと手段を選ばないAでした。往生際も悪過ぎました。
Aからも相手からも私の耳に入るトラブルは幾つもあり、私が仲裁役な場面もありました。
プライベートに限らず仕事上でもそんな場面があったそうです。SNSでAはそんな話題も持ち出していましたから。
立場の弱い私もAからは人前で陥れられる場面が幾度もありました。ただ、暮らしている土地が十分に離れていたので再会する機会は少なかったですし、私は人前で怒ることも嫌いでしたし、我慢するしかなく出来るだけピースメイカーでありたく。
久し振りの再会でAは何故か私に近寄ってきました。私は煙草を理由に席を外して別の席に移っても、Aはまた近寄ってきたり。

北海道の冬の葬儀でのAは特に困った存在でした。通夜の場で「裸踊りをやれ!」とか、火葬場では人前で嘘までついて私を陥れようとしたり。これは私も頭にきてしまい、一言返すと「お前まで死なれたら揶揄う相手が居なくなっちまうからな」とニヤついていました。
やはり、意図的に仕掛けていました。これも病気の範囲なのだか。30年近く前の葬儀、他にも色々と問題が多かったです。
Aと近い距離で暮らしていた関係者はこの程度の苦労で済まなかったですし、それに比べればと自分に言い聞かせたものでした。
Aについての苦労話は近しい人から度々聴いていましたし。「病気なのだから仕方ない」は毎度の合言葉の様でもありました。

二年前のAの母親の葬儀で、Aはたまたま入院中で列席出来ませんでした。
Aは母親とも縁を切っていましたし、葬儀のしばらく前には看病を続けていた叔母とまで大喧嘩をしていました。
結果的に叔母とも縁を切ってやったと豪語していたり。葬儀の後はSNSで母親の非難も続けたりでした。なので、あの葬儀の場にAが居なくて助かったとも思っています。
短期間で終わらす葬儀の予定は、その場で決めなければならない手続きが多く、他にも親族を迎える準備等も並行して必要で。
互いの気遣いや譲り合いが出来なければ、前に進めない三日間でした。途中予定の変更が必要で柔軟性も大切でした。
Aがもしあの場に居たら、予定も上手く決められなかったと思います。まして、親族が集まる夕食の場で何を言い出すのか解らず。故人を偲ぶ場を全てぶち壊す危険がありました。
過去の親族の葬儀ではそんな場で大喧嘩があったもので、私としてもそれだけは絶対に避けたく。
あの葬儀はこれまで経験したことが無いほど、暖かいムードで終えられました。故人は湿っぽいのが苦手でしたから、明るく迎えたく。明るく送りたく。

その葬儀後、負債しかない身内の相続放棄をAは勧めてきたのですが、私は相続放棄を選択しませんでした。私が喪主をつとめた葬儀ですし、私まで相続放棄をしてしまうと他の身内に迷惑が掛かる心配もあり。
それが原因で私はAから縁を切られました。ハズレくじだと判っていても引かなくてはならない場面はありますし、身内の件ではこれまで幾度もハズレくじを敢えて引いてきました。
しかし、まさかこの程度の理由で縁を切られるとは。直後に各種SNSで私はAにブロックされました。本気らしく。
ブロックされたところでサブアカウントで観えてしまうのですし、SNSでの私への中傷はしばらく続きました。呪いの言葉の様な短文が幾つも続いていました。

しかし、このまま見放して構わないのか迷えました。例えば保証人が必要な場面でもう頼れる人がAにほとんど残っていないからです。深夜でも大音量で音楽を流すAなので賃貸契約の保証人など誰もなりたがらないでしょう。
Aは私のこのBlogも閲覧しています。一年ほど前にAについての苦言をオブラードに包んで投稿したところ、半日もせずにSNSで私への猛攻撃を始めていました。
Aの投稿には私の記事へのリンクも含まれていて、それで気付きました。アクセスログの統計にはリファー(参照元)も残る仕様でしたので。
リンクしたところでA本人の問題が広まるだけなのに、どうしてそんな真似をしたのだか。SNSで理想の姿を表現するらしきAは趣味方面で上手く行ってもいました。全く似ても似つかない本人のイラスト入りで。
本人から縁を切っておきながら、何故ここを覗きに来るのだか。一年前に私がAへの苦言を綴ったのも、SNSで私への批判が何時まで経っても止まらないからでした。
私は何ヶ月も無視し続けてきたのですが、何かの件で遂に怒りに触れた流れでした。

その一件以降、Aの投稿を見ることは止めました。
しばらく前に某SNSの仕様変更がいよいよ本格化するとの記事を読みました。ブロック機能が無効化されると。
Aのアカウントを何となく覗いてみました。ハンドルネームは変更され、鍵が掛かっていました。非公開アカウントに変わっていました。
アカウントを変更する前の遣り取りは、相手側の投稿だけ確認出来ました。数ヶ月前に何かトラブった様子です。
Aは「僕は未来志向だ!」とも以前に綴っていましたが、これまでの失態に蓋をするだけで、それを指摘されたら逃げるか壊れるかでした。
そもそも信頼関係など過去の積み重ねで。土壇場での振舞も大きいかと。
「僕は〇〇だ!」の台詞はこれまでも多く、危険信号でもありました。

私はAの病名と、あの人格が関係あるのか長年気になっていました。
同じ病名でも症状はかなり異なったりです。例えば鬱病にしても目立つ症状の人も居れば、本人が言い出さない限り全く気付けなかったりで。誰にも迷惑など掛けないどころか気遣いが人並み以上の方も居たりでしたし。
全ての責任を本人が背負ってしまい、それが重荷になっている様子でした。全てのトラブルを他人のせいにしてしまう症状とは正反対でした。
Aの病名について検索してみたところ、やはりサイコパスの症状を持つケースもありました。それぞれ異なる精神疾患だそうですが、併発するケースもあるらしく。

サイコパスについては私だけがそう思っていた訳でありません。近しい皆それを心配していましたから。
幼女誘拐犯の宮崎勤が逮捕された際も「奴もやりかねない」と心配されたりでした。見た目も少し似ていましたから。
ただ、Aは教習所の実地が全く駄目だったそうで、通わなくなり自動車免許を取得していません。なので宮崎勤と同じことは出来ないだろうと。父親は「俺が教習費を出したのにまた逃げた」と嘆いていました。
Aは車好きでもあり、スペックも知識も私より遥かに豊富だったのに。

たまたまかも知れませんが、教習所で上手く行かず免許を取得出来なかった人の中に、精神を患ってしまうケースがもう一人いました。
友人の弟さんだったのですが、当時の教習所はどこもスパルタンな実地でした。教習生がどんな立場であろうと基準を満たさねば容赦ない指導でした。自動車は凶器にもなりえるので、仕方ないことでした。
ある面、公平な実地でもあったのですが、人によっては初めての屈辱になったのかも知れません。友人の弟さんは高校卒業時に通っていた教習所で発狂してしまったそうです。
素直な性格の弟さんは学力が少し低かったそうですが、相応の高校に通っていたので不自由する場面はなく、幸せな日々だったのにと。

私も得意不得意は多目でした。特に体育が苦手でしたが、人並み以上のトレーニングのお陰で人並みに近付けました。
高校時代からマニュアルの単車に乗り続けていたので、自動車の教習所ではさほど苦労しなかったです。
大学時代に貯めたお金で挑んだ合宿免許でもあったので、何があっても取得する覚悟がありましたし。卒業の年で内定先の企業の研修では自動車免許が必須でしたし。

話を戻して、Aの病名や症状についてです。
検索したところ、それで苦労している近しい関係者は多かったです。場所を問わずトラブルを起こしてしまうケースが幾らでも。
周りの目を気にし過ぎる人生というのも味気ないと思いますが、ある程度の社会経験を積めば自然と身につくマナーは誰しもあるもので。
誰しもドジを踏んで学ぶことは多く。幸い、お調子者の私は若い頃にドジを踏みまくりました。痛みも知れました。少しはそれが役に立ちました。
Aはどうやら失敗に学ぶ感覚が抜けている症状に思えます。目的の為ならなりふり構わずやってしまい、それは周囲から診ても尋常でなく。皆十分に嫌がっているのに。
本来、主人公を立てるべき冠婚葬祭の場であってもお構いなしに目立っていました。披露宴の二時間スマホのゲームに熱中し続けたり。
本人に言っても話にならないのは周囲も気付いているので、近しい関係者は「あの人どうなってるの?」と訊かれるばかりで。
Aは発病前からそんな状況でした。発病後はもはや無敵でした。

Aから縁を切られて二年以上「見放してしまって構わないのか」という意識は私の中で続きました。
近しい人に理解者が誰もいないのは一番の不幸ですし「理解してあげよう」と思う人は減る一方でした。皆疲れていました。
Aの影での私への批判も敢えて観に行かない一年でした。このBlogでAについての話題も敢えて避けてきました。
私は投稿を滅多に消すことがありませんが、昨年のAへの苦言についてはその後消しています。Aは「もしかして僕からマウントを取ろうとしているのか?」ともSNSで綴っていましたが、その解釈は逆です。それまでは少しでもAを立ててあげたかったのですから。

むしろAは私からマウントを取るだけの半生だったとも思えます。子供だった頃は仕方ないと思います。周囲もそんなものでしたし。しかし、お互い社会人になってからもそれでは。
他の近しい人とは大人同士の会話が出来たのですが、Aだけは異なりました。幼児向けの玩具を突然取り出し「〇〇だー!」とポーズを決めるAが情けなかったです。最初は新種の漫才芸かと思っていました。
精神年齢もそれくらいなのかと。
「僕は管理職経験者だから、奴より判断力あるんだー!」ともSNSで綴っていました。しかし、だったら何故にここまで先々でトラブルを繰り返してきたのだか。
私も管理職を経験していますが、敢えてAには伝えなかっただけで。逆にAの部下が気の毒にも思えます。
過去の職場に何かアドバイスして無視されたら「僕を怒らせたら怖いよ。(・∀・)ニヤニヤ」ともSNSで。
確かに関わったら怖いとは思います。

今回の記事はAを中傷する意図などありません。潔く私を忘れてほしいだけです。貴方から縁を切ったのですから。
出来るものなら父への連絡も止めた方が良いです。離婚原因の一つに貴方の問題も含まれていましたし、貴方との関りも断ちたく誰にも連絡先を伝えず家を出たのですから。全て捨てた父なのですから。
父は信頼関係があって貴方をサポートしてきた訳でなく、病状が哀れだったからサポートしてきただけですし、離婚前に私が託されていました。
A関連の記事はもう綴らない予定です。なので、もう近寄らないでほしいです。このBlogや私のSNSを覗くのを止めてほしいです。
迷惑ですから。

「奴は最初から居なかった」と思いましょう。
「全て終わったことだ」と諦めましょう。

Comment

  1. より:

    SUKIYAKIは見捨てない性格だし責任果たしました Aから去ってくれて良かったのでは?
    私ならとっくに縁切ってる 大きな事件起こされるの嫌だし
    昔のAの顔しか覚えていないけど人相似てない?

    https://news.goo.ne.jp/picture/nation/kyodo_nor-2024102701000239.html
    • SUKIYAKI より:

      qさんコメントありがとうございます。
      過去に近しい間で縁切り合戦があり、私は冷めた目で見続けていたので縁切りに参加しませんでした。双方から「お前はお人よしだ」と言われました。
      他界した方が何人か居ます。縁を切ると葬儀にも出れませんし呼ばれません。十数年前の葬儀は私だけ呼ばれた密葬でした。近しい多くの方に四十九日まで知らせられない立場でした。黙っているあの期間は楽で無かったです。
      そんなこともあり私から縁を切ることはありませんでした。距離を取る程度でした。
      新橋の事件の写真、リアル過ぎます。

      • q より:

        Aって服とか時計とか靴の自慢多くなかった?全然似合ってなかったんだけど

  2. 通りすがり より:

    地方暮らしの男性の自動車免許取得率はほぼ100%です。僕の周囲に無免許はいません。人格に問題のある教習生は技能以前の問題。危険運転を繰り返し事故から逃げます。僕の会社では無免許を書類選考で落とします。過去の採用で精神や人格の問題がありご家族は気の毒でした。

  3. SUKIYAKI より:

    通りすがりさん、コメントありがとうございます。
    すみません。以前に曲名でお世話になった方でしょうか?

    私は採用側で履歴書を観てきたのですが、男性で免許を取得していないケースがそもそも無かったです。
    ハンドルを握るようになってから知れた出来事は多かったです。譲り合いにしても、親切心にしても。
    カーブを抜けた対向車からパッシングを受けた際は、必ずその先でネズミ捕りが待ち構えていました。初体験で「いまのは何だ?」と思っている矢先に捕まりました。そんなのは教習所で教わる訳もなく。
    貧乏大学生時代、単車で北海道に帰省した帰り道、東北の狭い国道でした。

    素直に捕まり「東京ナンバーがどうしてここを走っていたんだ?」と質問され、素直に答えました。制限速度20キロオーバーだそうです。
    当時の免許証は住所と本籍が表面に載っていました。質問したお巡りさんは奥に入り戻ってきたところで。「岩手で捕まった思い出がこれしか無いのは残念だ。これを忘れず安全運転を意識しなさい」と。
    切符は頂いたのですが、反則金は無く一点減点程度に収めてもらえました。
    現代では許されないのでしょうけれど、あの大人の対応は素敵でした。