ここ数日、江別の事件の続報が気になっています。千歳で暮らしていた大学生が江別の公園で殺害されたとの続報、どちらも私の生誕地だったり育った土地でもあったので。
どちらの土地も物騒なイメージは無く、札幌の通勤通学圏でもあったり。
北海道では若者による凶悪犯罪が毎年続いていて、その主犯格に若い女性のケースが多く。
今回の事件は警察から公式な話がまだ少なく、いま流れている報道内容も何処まで本当なのか解りません。
ニュースのコメント欄でも様々な意見や推理みたいなのが続いています。主犯格がアルバイトしていたコンビニでは真面目によく働く女性達だったとも当初報道されていましたし。
ただ、そこに至るまでの過去は徐々に明らかになっていて、
私が映像を見る限りは何処にでも居そうな普通の見た目の女の子達なのですが。
二人の女性のどちらの話だか覚えていないのですが、高校時代から危険な面があったらしく、まともな友人はどんどん離れていったそうです。
結果的に危険な友人との繋がりしかなくなったような記事もありました。こういったケースは昔から何処にでもあるかと思っています。
勉強の出来不出来に関係なく、関わったら危なそうな人は実生活で孤立しがちで。友人関係にしても家族関係にしても、何かあったら助け合うものですけれど、助けきれない危ない人というのはやはり居ます。
危険な考え方同志が集まってしまうと歯止めが掛からず、誰も止められなくなってしまったのだか。「もうやり過ぎだよ!」とブレーキを掛けられる人さえ、その場に居なく。
主犯格が怖過ぎて、従わざるを得ない関係だったのか。
ただ、現代ですとスマホとSNSがあるので、SNS上ではFF関係が多い人も居ます。
顔写真を派手に加工したり正体を偽ったりしている方も。仮装や理想の本人像なのかも知れませんが、そうと気付かずに騙されてしまう方も多いらしく
四半世紀ほど前まで、私はネットのコミュニティスペースで知り合った方々と飲みに行ったり海に行ったりする機会が幾度かありました。
だいたいは普段から素顔を出していたので、実際に会っても溶け込みやすかったのですが、全くの別人だったケースも中にはありました。
ネット上ではあれだけ語る人だったのに、人前では全く喋れなかったり、一方的なトークで会話にならなかったり、写真やイラストを盛り過ぎていたり。
会ってみたら酒乱が判明したり。北海道の披露宴は本州に比べて安上りらしく、参加する枠も多かったりなのですが「奴だけは呼ばないで」みたいなケースもあったりでした。
続報で気になった被害者の言葉も。
「一年後に別れよう」との言葉が今回の事件の引き金になったそうです。加害者側からの供述らしいので、何処まで本当なのか謎ですが。
もしそれが事実だとしたら、随分と大人な割り切った交際に思えてしまい。
ただ、交際開始からまだ二ヶ月で彼女の存在が嬉しいとの発言も友人間ではあったそうで「一年後に」という証言もやはり怪しく思えていたりです。
私も北海道の高校生時代は恋愛をしてみたかったですし、好きな女性はいました。後輩からはラブレターも幾つか頂き、中には私の好みの子もいました。
ただ、卒業後は実家から離れる覚悟が既にあったので、いまここで付き合う訳には行かず。丁寧にお断りの返事を綴りました。「進学で半年後にはもうここに居ません」とも。
後輩の女の子は修学旅行先で購入した「勝つ守り」をプレゼントしてくれました。
あのお守りは私も嬉しく、上京後何年も鞄にぶら下げていたのですが、細い紐が千切れてしまいあっけなく失ってしまいました。
悪く言ってしまうと未練を残したくなかったですし、足枷にもしたくなく。高校受験でも大学受験でも恋の病が同時進行で苦しんでいた友人は少なくなかったです。
ただ、思い返してみると同じ高校出身者同志が結婚すると、その後も上手く続くケースが身の回りで多かったです。
互いの素性も最初から解っていますし、知性とかのつり合いも最初から取れていて。隠しようも騙しようもなく、素を知っているので。
素の自分を出し合えるのは一番幸せな信頼関係にも思えていて。恋愛に限らずですが、メッキが剥がれぬままの関係など疲れるだけにも思えています。剥がれた時が危険で。
SNS上の偽りの姿も似たようなものに思えてしまい。
なので、私の場合はSNS上で基本的に長い付き合いの人しかFF関係になっていません。十年以上前からの顔見知りが当たり前で、何でも話し合えて。
たまに変なのに絡まれたことはありましたが、それは誰でも経験する貰い事故みたいなもので。
最近、禁酒関連のコミュニティを覗きがちでした。病気の特性上トラブルを繰り返す方も何人か。その度にハンドル名を変更している方も。
ハンドルを変えたところで本質は何も変わらないのに。
実生活でまともな交友関係とか家族関係とかを失い、SNSしか頼りにならない方は気の毒にも思えています。
必ず過去に幾つもの問題を起こし、迷惑がられているのですから。
話が更に逸れるのですが、昔からおかしな大学はありました。
私が大学を受験した四十年近く前は、どの大学も入試倍率が高く、進学率は二割くらいだった記憶です。私のような凡人ですと、かなり差し迫った状況に追い込まないとどの大学も入れませんでした。
同じ高校に通っていた友人は在学中に赤点が多く、卒業さえもちょっと危ない状況でしたが運良く札幌の理系大学に現役合格しました。
皆喜んでいました。学業成績がもっと優秀だった生徒でも残念な通知に泣いていましたから。
しかし、体格が良かったせいで入学した途端に応援団に捕まってしまい。そこでの夏の合宿が酷かったそうです。竹刀でお腹を何度も叩かれたそうで、その傷跡も見せてくれて。
結局一年ほどで退学してしまいました。退部は許されない狂った環境だったそうです。
中心街に小さなお店を構える実家で暮らしていた友人でしたので、私が帰省すると必ず寄る間柄でした。
私たちが社会人になってから、地元に理系の私立大学が設立され、友人は嘆いていました。「現役時代にこの大学があったらなぁ」と。
私もちょっと同感でした。多分、合格圏内の偏差値でしたし通学も楽なもので。
ただ、私の場合は私立の理系に通えるお金など引っ繰り返っても出てきませんでしたし、やはり実家を離れたかったので選択肢には入らずで。
少子化の影響もあり受験者数も減る一方の大学、市の協力で数年前から公立大学に変わったそうです。偏差値も随分と持ち直したらしく。
これだったら私でも通えたのかもと思ったり。今回の事件の被害者が通っていた大学でもあったそうです。
一昨年の母の葬儀で二十年ぶりに帰省した街、あの友人のお店は既に無くなり中心街は丸ごと消えたような状況でした。当時から「バス停前のいつ潰れてもおかしくない小さなタイ焼き屋さん」だけが逆に残っていました。
高校生時代も社会人になってからも、あそこでタイ焼きを買ってから向かいの友人宅に伺ったものでした。
今回の事件もそうなのですが、加害者も被害者も未来ある若者で、まだまだやりたいことは幾らでもあったかと。誰でも大学に入れる時代になってしまいましたが、それでも金銭面で通えない若者も多いかと。
そんな恵まれた環境の若者達が将来を捨ててしまうのは勿体ないと思います。加害者側の勝手な判断にしても、人を殺めたらどうなるのかくらい知っていたでしょうし。
だいたい、この時代は監視カメラがそこら中に設置されていて、隠れようなど無いのに。
ここ数年の若者の大きな事件では、地元の大人達が揉み消したりな残念な事後対応が続いたりでした。せめてそんなことが無い様に。
続報でもう一つ気になった記事がありました。
事件現場の深夜に、断末魔の叫びが住宅街にも響いていたそうです。その記事のコメントでは「どうして住民は通報しなかったのか」とも。
「助けて!」との言葉でないと、通報は難しかったと思えてしまい。
上京してからの私は幾つかの事故や事件に遭遇しています。しかし、リアルタイムでは悪い想像など難しく。
寒い雨の夜、二人の大人が倒れていた場面がありました。片方はイビキをかき。酔っ払いが二人そろって倒れているのは珍しいくらいにしか思いませんでした。
数十分後に知ったのですが、大学の窓から飛び降りした人が歩道を歩いていた人に激突したそうです。続報でどちらも大学関係者ではない大人達だったそうです。亡くなられたのはたまたま歩道を歩いていた中年のサラリーマンでした。
私が大学卒業の年に巻き込まれた事件は、暮らしていたワンルームマンションの一階でお洒落なレストランでのことで。
あれも寒い夜の出来事でした。歩道で店主の奥さんが私の名を深夜に叫び続け。ベランダに出たところ「助けて!」と。
二人ともアジア系の五人組に強盗傷害に遭い、監禁された店内から抜け出した直後でした。
いつもの「冗談」なのかと訊き返してしまいました。
結果的に第一発見者になってしまった私は翌朝まで地元警察で取り調べに付き合わされました。
男から「助けて!」なんて言葉、あまり聴いたこと無いですし、簡単に言えません。
世代は異なるものの、私にも縁あった土地での出来事、考えさせられます。
Comment
江別の殺人事件は、事実が明らかになればなるほど、あまりにも短絡的な犯行に思えます。
不謹慎な言い方だけど、これで隠し通せると思っていたのなら知能が低過ぎる。
おそらく感情だけが先走ったのでしょう。
いずれにせよ殺人犯たちには厳罰を望みますし、少年法による庇護も相応しくないと考えてしまいますね。
それはそうと、私も高校時代のクラスメイトと結婚しましたが、カミさんには、メッキが剥がれたところを何度も見られております。
私も感情に任せて短絡的に思えていますが、六人も集まって一人くらいブレーキ踏めるのが居なかったのだか。
江別は私が生まれただけで記憶にない土地で、千歳の帰省時に友人の演奏会があり、幾度か伺った程度です。中心街の古い建物を再利用していたり、郊外の長閑な田園風景が美しい土地でした。
自由と権利を掴んだばかりのハタチ、責任とか義務とかどう考えていたのだか。「捕まってもこの程度」な前例にはなってほしくないです。
メッキについては、たぶん次元の違う話かと。