某SNSで横浜ドリームランドの話題がありました。子供の頃はCMでも気になっていた遊園地です。
そういえば最近聴かなくなったと思っていたところ、2002年に閉園していたそうです。
また、最寄駅から遊園地までモノレールが走っていたのですが、開園から一年半で廃止されてしまったそうです。設計ミスで車体の重量が増してしまい、タイヤが頻繁にパンクするはレール周りは破損してしまうはで。
新卒で入った会社には8年ほどお世話になりました。その8年は稲城の寮でずっとくらしていまして、あの地域の土地勘はそれなりにありました。
車で都心に向かうルートは幾つかあり、その途中で向ケ丘遊園のモノレールも時々観がちで。
あの遊園地にも行ったことが無く、叔父の家に遊びに行く途中の小田急線で「向ケ丘遊園駅」を知った次第です。しかし、CMを観た記憶がなく。
大人になってから見掛けたあのモノレールはかなりノスタルジックな印象でした。ウルトラセブンに登場する間違った未来の乗り物とでもいうか。(このリンク先に登場するモノレールもポインター号に近く)
同じ寮で仲の良かったY君は関西出身で、池尻の天下一品を紹介してくれたり。週末の昼や平日の深夜によく訪れたものでした。
Y君は子供の頃に憧れていた初代レパードを格安で入手したのですが、近未来的な装備は幾つか壊れていて、女性の音声案内も妙なコンディションで。
あの車も独特な見た目で「ポインター号」と自分が勝手に名付けていまして。あの古いモノレールをポインター号で見掛けると「おぉ、兄弟がいるぞ」と笑い合っていました。
横浜ドリームランドも向ヶ丘遊園も訪れる機会が無いまま、どちらも2002年に閉園していたそうです。
そして、最も謎めいていた遊園地は朝霞テックです。
幼少期に暮らしていた東上線沿線の上福岡で、池袋方面に向かう途中に見掛けた遊園地でした。
母には「いつか連れてって」と懇願していたものの、いつの間にか無くなってしまい。たまに都心へ訪れる場面、あの辺りを通過する際に車窓から気になった存在でした。
自動車メーカーのホンダが運営していた遊園地だったそうなのですが、1973年に閉園していたそうです。
自分が5歳未満の記憶になります。幼稚園にも入っていない頃の記憶は少なく、よくそんなの覚えていたなぁと。余程の欲望があったのだか。
思い返してみると、幼少期に遊園地に行ったことは一度も無く。町内会の企画で長瀞や上尾プールに行った記憶だけです。まぁ、貧しかったので仕方ないです。
どちらも面白かったのですが、上尾プールには当時珍しかった「流れるプール」がありまして、そこで自分は死にかけています。
小さなゴムボートに飛び乗ったものの、それは流されて自分は水面に落下してしまい。背の届かない流れるプールで自分は何かに捕まろうとバレリーナ状況でした。
しかし、何も掴めず「このまま死ぬのかな?」と諦めかけていた頃、上に伸ばしていた手が掴まれて救い上げられました。
掴んでくれたのは母でした。えんえんと泣く自分、また母に怒られてしまうかと思ったりでした。またドジを踏んだかと。
自分が大人になってから、あの時の思い出を母に尋ねたところ、よく覚えていました。
ビニールの茣蓙の上で母は自分を見守っていたそうです。しかし、何か危ないと思い水辺に駆け付けたところ、あのゴムボートは誰も乗っていなく、その後ろに小さな手が浮いていて。
小さな手を救い上げた後の母は、自分に怒ること無く若い監視員に怒鳴ったそうです。
同じ記憶なのですが、随分と内容が違っていました。
「そうだったんだ」と。
特に幼少期の自分は無鉄砲で、死にかけた思いは幾度かありました。全部自分のせいでして。
いま生きているのが、ちょっと不思議なくらいです。
大人になってから、ディズニーランドには二度訪れています。
これが自分のお金で伺ったものの、どうしようもない思い出です。
一度目は夜間大学に通っていた頃に、職場の催しで伺った場面です。どのアトラクションも行列で、列が一番空いていたカヌーを漕がされたくらいでした。なんじゃこりゃです。
二度目はお世話になった叔父の娘さんが地方から旅行に訪れたタイミングでした。娘さんが高校に上がる春休み、兄から「お前も来い」と。
しかし、新卒で入ったばかりの会社は過酷な勤務体系の現場。どうにか休みは取れたものの直前は24時間勤務で。
兄の家に訪れたところ、あの赤ん坊だった娘さんが随分と女の子らしくなっていて。アイドルでも通用するくらい可愛く。
翌日にディズニーランドに伺ったのですが、行列に並ぶには睡魔が酷く「ベンチで寝かせて」と。
午前中の到着、木陰のベンチで寝ていたところ夕刻に起されました。兄に怒られました。「おまえ何しに来たんだよ!」と。
ともかく謝るしかなく、その後は一緒に行動することに。大きな土産物店で娘さんに「どれが一番欲しい?」と尋ねたところ「クマのプーさん」と。
棚の一番上には巨大なプーさんが。しかし、ぬいぐるみに値札が無く。
店員さんに尋ねたところ、あれは売り物じゃないそうで。「幾らでもいいから売ってもらえないませんか?」と更に尋ねたところ、売れないそうで。
娘さんのお父さんには、幼少期散々世話になっていました。母子家庭の我が家で、叔父は自分達兄弟を海や山に幾度も連れて行ってくれて。しかし、既に他界していて。
世話になったばかりで、何も恩返しが出来ておらず。せめて娘さんにと。
結局、二番目に大きいプーさんを購入。二番目と言っても十分に大きく、持ち帰るのは大変そうだったので店員の勧めで宅配便に。
ボケに徹していた自分は「あの家族の父ちゃんは間寛平みたいだなぁ」と漏らしたところ、娘さんに怒られてしまいました。「そんなこと言っちゃ駄目でしょ!」と。
「チアキに怒られちゃったよぉ」と泣いたフリで返しました。でも嬉しかったんですよ。ちゃんとまともに育ってくれたんだなぁと。
心配な娘さんより早く届いた大きな荷物に、山形の叔母は驚いたそうです。
十年近く前に娘さんの披露宴がありました。ちょっと遅めの結婚でしたが、相変わらず綺麗で。
披露宴での新婦は忙しそうで一言だけ聴いてみました。「あのぬいぐるみ、覚えているかい?」。そして「嫁入り道具よ!」と。
20年経ったいまでも宝物だそうで。
Comment