高校の同窓会の話の続きになります。
自分は同窓会そのものに興味が薄く。それよりもどうしても連絡を取りたい友人が二人いました。
二人とも高校時代から仲が良かったのですが、卒業してからの方がむしろ本音で語り合えるようになり。
一人目は東北の国立大学に入り、自分が単車で北海道に帰省した際、帰りのルートで突然お邪魔して一泊させてくれた友人A君です。
自分が彼のアパートを尋ねたのは、外も暗くなった時刻でご実家に電話してその住所を知り。
アパート前で深夜まで待っていたところA君が帰宅しました。古い単車でやってきたA君は深夜まで居酒屋でアルバイトをしていたそうです。
A君は糞真面目で曲がったことは一切嫌いな男でした。ただ、大学の同級生は皆高校時代に弾けていた部分があったそうで、それが出来なかったことを悔やんでいました。
「だったら、いまやればいいじゃん」と。
理学系の学部に居たA君とはその後も年賀状の遣り取りが何年か続きました。A君はそのまま大学院に進んだのですが、研究室の先生と大喧嘩になり、退学してしまったそうです。
喧嘩するような性質では無かったですし、余程の問題があったのかと思います。
それがキッカケで親御さんに勘当されてしまい、その後はずっと行方不明のままです。
北海道の何処かの牧場で働いているという噂はありました。ご実家に電話しても居所は教えてもらえず。
本人も誰とも連絡を取りたがっていないそうです。いまだに。
二人目は札幌の大学に進学した友人B君です。B君の高校時代の成績はパッとせず、赤点も取っていた記憶です。
しかし、一発勝負には何故か強く、理系の大学も文系の大学も合格していました。
夏休みに帰省すると、当時親とは犬猿の仲だった自分は毎晩の様に喧嘩になってしまい。そんなタイミングで毎度B君がドライブに誘い出してくれて。
B君には実家の状況を伝えていたので、心配してくれていたのだと思います。毎晩明け方までドライブに連れて行ってくれて。
B君の趣味は自動車で、大学の自動車部にも所属していたそうです。ただ、運転は荒く在学中に二台以上は廃車にしていました。
大学卒業後もB君とは交流は続き、道東方面まで一緒に旅したことが幾度かありました。
周りからはちょっと変わった奴な扱いだったものの、自分も負けないくらい変わった奴でしたし、何故だか馬が合い。
B君は大学卒業時に公務員の二種と会計だか税務だかの試験にも合格していたそうで、二種の方を選んだそうです。どちらも難易度のある試験でしょうし、やはり一発勝負には強かった様子です。
しかし、仕事は相当忙しかったそうで、一時期は霞が関にも異動していたそうで。
当時、小樽方面のトンネルで大きな事故があり、その対応で関係者は超過勤務が常態化していたそうで。
その対策の仕事をB君は担当していたそうなのですが、B君本人も霞が関では毎晩明け方まで仕事が続いていたそうで。
何とも矛盾した話だなぁと、苦笑いで。お互い東京で暮らしていたのに、自分も忙しく会えず仕舞いでした。
それから先は、お互いの居場所も判らなくなり。自分の筆不精が悪かったのだと思います。
自分が最初の会社を辞めて、一時期北海道に戻っていた頃、友人伝いで連絡先を知り電話してみました。
B君は北海道に戻っていたそうで、その晩に車を飛ばして実家までやって来てくれました。
既に結婚もしていて、娘さんも居るそうです。
「どうして連絡してくれなかったんだよ?」と聴いたところ「それはお前がだろ」と。
連絡が取れたのも会えたのも、あれが最後でした。自分の方はその後の転職が多く、引越しも多く、ともかく生活が落ち着いたら連絡を取ろうと。
今回の同窓会、管理サイト上でB君は「転居先不明者」扱いでした。その辺に詳しい友人C君ににB君の所在を聴いたところ、彼も判らないそうで。
C君は転職して地元の教師になったのですが、B君の奥さんの親御さんに世話になった部分があったそうです。その親御さんは何処かで校長先生だったそうで。
そんなC君でもB君の行方を知らないとは。
ただ、B君は何らかの家庭の事情を抱えていた様子だったそうです。それ以降音信不通で、誰とも会いたがっていなかったそうで。
それを聴いて心配になり、昨日は様々な方面へ電話で所在確認をしたのですが、2006年に退職したらしいとの情報が。
益々心配になりました。公務員の転職はあまり聴いたことが無く。
B君の実家はとっくの昔に転居していたので、電話をしても繋がらないだろうと最後に駄目元で掛けてみました。
ところが、これが繋がってしまい、お父さんが受話器を取ってくれました。
B君の携帯の番号も直ぐに教えてもらえて。
B君の携帯に電話してみたところ、B君本人が出てくれました。仕事中だったので三分程度しか話せなかったものの、現在は帯広で暮らしているそうで、仕事も続けているとのこと。
後から電話してもらう流れで、会話は終わりました。
B君も驚いていました。誰にも連絡先は伝えていないのに、どうやって?と。
あと、退職の噂は間違いでした。家庭の事情と言うのも間違いなのかも知れません。
ともかく、無事に生きていたことを確認出来て、安心しました。
しかし、昨夜の時点でB君から折り返しの電話はありませんでした。
色々と事情はあるかも知れず、期待せずに待っているつもりです。
B君のエピソードは面白いのが幾つかあります。
大学時代に何台目かの車を全損させたとき、助手席に乗っていた同期も死ぬ思いをしたそうです。引っ繰り返った車の中でB君は一言「またやっちまったよ」。
深夜のドライブでも、居眠り運転してしまった場面は幾度もありました。縁石にぶつかり跳ね返ると「〇〇お前また寝てたのか!」とリアシートから首を絞められたり。
運転そのものは上手かったものの、空港でのアルバイトの時間も長かったそうで、いつも寝不足だった様子です。なのに毎晩ドライブに誘い出してくれて。
自分が車の免許を取得したのは大学卒業の年の夏休みでした。なので、B君のお陰で帰省時は行動範囲も膨らみましたし、他のクラスメイト達とも一緒に馬鹿騒ぎを楽しめたり。
特に最初の帰省では、浪人した連中を連れ出しがちでした。立場の悪い連中は大っぴらに遊ぶことも出来無さそうで、海や山に出掛けがちでした。
特に高校の最後の学校祭は手抜きをする約束だったのが、準備作業から妙に盛り上がってしまい、重い分担作業を任せてしまった友人D君が浪人してしまい。
本人も「受験を控えているからやりたくない」と意思表示したのですが「俺だって好きで学級委員してる訳じゃないし、全部俺が担当するのは無理だ」と本音のぶつかり合いで。
学校祭の打合せは、そんな場面もあったりでしたが、無駄に長い会議は今でも嫌いでして、「サッサとパパっと決めちゃおう」と。勢いに乗ったら案外上手い流れになり。
ともかく、D君は誰からも一目置かれた人気者でしたし、纏め役に適切でステージ発表でも花形で。
浪人してしまったD君へは申し訳ない思いをしていました。罪滅ぼしの思いもあり、B君のドライブに誘いがちでした。
しかし、D君は二度目の受験でも希望していた大学から不合格の通知を受け取ってしまい。その日に電話があり。A君も通っていた東北の国立大でした。
残念感を共有することしか出来ず。ただ「まだチャンスは残っているのだから」と。
しかし、しばらくしてD君からまた電話がありました。「補欠合格した!」と。
これは大いに喜べました。「これで大っぴらに遊べるな!」と。
教育学部を卒業したD君は、北海道で小学校の先生になり、子供達からも親達からも人気者だったそうです。
D君本人も子供達が可愛くて仕方がないと夜のスケートリンク作りも生き甲斐だったそうで。今時の義務教育の先生というのは、面倒な思いばかりだろうに本人には天職だったかと。
検索したところ、現在は校長先生でして、ニュース番組の動画にも登場していました。
上手くやっているらしく、気が向いたら何時でも連絡取れると思いつつ、最後の再会から四半世紀経ってしまい。
話を戻して、B君です。(リンク先ではH君です)
こんな思い出があったら、忘れられるワケないです。
四半世紀ぶりだったら、思い出話も悪く無いと思うのですが、はたして電話はあるのだか。
追記:
当時、両親と自分は犬猿の仲でしたが、卒業の時点で全て水に流しています。
建てたばかりの家に友人を連れ込んでばかりの自分、養父はちょっと嬉しかったそうです。賑やかなのは好きだったらしく、飲酒運転も厳しくない時代だったのでお酒も振舞いがちで。
両親も自分が連れてきたり訪ねてくる友人達を楽しみにしていました。兄達はタイミング悪かったのかそんな場面が少なかったそうで。
また、皆優秀な大学に通っていたので、自分もちょっと誇り高く。自分が偉い訳では決して無いのですが、皆頭良いのにいい奴ばかりでした。
晩年の母は認知症も入ったせいか、高校時代の自分を申し訳なく思っていたりでした。冬の体育の授業で必要だったスキーセットを買えるお金が無く、それで始めたアルバイトは毎晩深夜まで続き。
ただ、自分としては学校の授業よりも面白いアルバイトでしたし、高校へは寝に行くだけで十分でした。
先生方も自分がアルバイトして、酒飲んで、煙草吸って、単車乗ってはバレバレだったと思います。全て校則違反だったものの、何故か大目に見てもらっていた様です。
そもそも自分は大学に行かせてもらえるとは思っていませんでしたし、最後の学生生活になるだろう高校時代は馬鹿を遣り尽くしました。馬鹿な誘いに乗ってくれるクラスメイトも沢山居て。
バレてしまった悪事も多々あったのですが、ほとんどは自分の誘いだったので、率先して怒られました。どうしようもない学級委員でした。(普通なら他人のせいにするのでしょうけれど)
勿論、人様に迷惑掛けない範囲でした。昼休みに校舎から出てはいけないのに、モリモトのピロシキを買いに出かけて別クラスの先生に捕まったとか。
全くアホらしい校則で。んな拘束の方が間違っていると。この程度で停学にはならないだろうと。
ともかく、大らかな時代を若い頃に過ごせて運が良かったなぁと。
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