キッカケ

桃の人工授粉は上手く行ったようで、今年は沢山着果してくれました。
逆に何処かの時点で幾つか間引きしないと養分が足りなくなりそうです。
例年より陽当たりの良い場所に鉢を移動させたところ、葉の成長もこれまでにない勢いです。
冬場に消毒したお陰もあり、今期は縮葉病にもやられておらず。

チューリップも花が全て落ちてしまったので、そろそろ球根を穿り出して消毒すべきタイミングかも知れません。
あとは向日葵の種をそろそろ植えるべきか。
例年育てるスペースにいまは桃の鉢があるので、ちょっと工夫が必要そうです。

話がちょっと逸れます。
知恵袋系のサイトで、気になる質問がありました。
「先祖は困っている方々に尽くすことをしてました。僕には出来ていなく歯がゆい思いです。どうしたら良いでしょうか?」と。
これは自分も似た感覚です。母方のご先祖は大正時代の飢餓で石碑や町史にも名が刻まれた善人で。
悪く言ってしまうとお人好しな先祖で、使用人に騙されてひと財産失っていまして。
血筋は争えず、自分もお人好しの部類でして。逆にそれで誤解を招くこともあったりですが。
近年もそんな誤解で嫌な思いがあったりでしたが、物事をネガティブに受け止めてしまう人は必ずいる世の中なので、そういったのはまともに相手する必要無い心境に辿り着いています。
勝手に言っていろと。

困っている人は自分も出来るだけ助けたいです。
特に上京したばかりの頃の若造だった自分は、生活面等々で色々と困っていた中、新しい環境で知り合った大人達から救われてばかりだったので。
頼らなくとも見て見ぬフリ出来ぬ大人達に救われていました。
自分も頼りになる大人にならなければと思ったものでした。

ただ「助けて」とはなかなか言えないものです。(その代わりに愚痴は垂れていましたが)
多くの場合、それは相手に迷惑を掛けてしまうもので。恥かしいもので。
それを言える相手も少ないもので。助けを求めたのに助けてもらえないのは更に残念な流れでもあり、そんな悲しい思いはしたくなく。
気付いてあげるくらいまでが精一杯なのかも知れずです。

東京の暮らしが長くなってしまった自分です。
近所付き合いは案外面白かったです。田舎出身の若者がほとんどの東京、義理人情も意外に通じたりで。
治安の悪かった地域でワンルーム暮らしだった学生時代も、妙な縁でお隣さん同士部屋に遊びに行く仲だったりで。
隣りの部屋に暮らす女性はたまたま同郷だったらしく、キャバクラのホステスさんでした。
自分より少し年下な女性は学が無かったものの、いつも明るい笑顔で。
お金が無かったらしく部屋には電話も引けずで、自分の部屋の電話を借りに来る場面もしばしば。だいたいは切羽詰まった会話でした。
どうしようもない紐の彼氏も、自分を兄の様に慕ってくれて。
女性の部屋には時々上京するお兄さんが訪ねてきました。お兄さんはヤクザ者だったそうで、ベランダ越しに彼氏が逃げ込んでききました。
「イーヅカさん!助けて!」と。

そんな時に限って自分はエロビデオを鑑賞中だったりで「勝手に人のベランダに入るな!」と怒ってしまったことも。
仕方ないので部屋に入れてあげたら、今度は玄関から呼び鈴が。やばい「お前隠れてろ!」。
女性のお兄さんがビール券を手元に「いつも妹がお世話になっています」と。
後ろから前から、妙なワンルーム暮らしでしたが、思い返すとなかなか面白く。「お前らもうちょっと上手くやってくれよ」と苦笑いでして。
お正月は帰省するお金が無く「うちにおいでよ」と隣りの部屋で一晩明かしたことも。キャバクラのホステスさん達は皆化粧を落していました。あの和気藹々な雰囲気も素敵でした。

マンション一階で強盗傷害事件があった際は、同じ三階の住民総出で深夜の救出作戦に。
社会人になる寸前のあの事件は、あの住民達との締め括りな場面になってしまい。
同世代だったあの住民達、今頃どうしているんだろう。
お姉さん役だった方が何人も居たりでした。みんな優しく時に意地悪で、孤独な人々でした。
昭和から平成へ移り変わった当時、まだ昭和臭はぷんぷんと漂っていました。

この辺の話題は既に幾度か綴っています。
自分がこうなってしまったキッカケはハッキリしています。
母子家庭だった幼少期、神奈川の大和で暮らす叔父の家で遊びに行きがちで。特に年末年始はお世話になりがちでした。
叔父の家は平屋の粗末な賃貸だったものの、いつも暖かい雰囲気に包まれていて。
あの寒い中、外では砂利道の舗装作業もあったりでした。
作業員の方達は、小さな庭に続くドブの蓋の上まで「アスファルトを敷こうか?」と訪ねてきました。アスファルトが相当余ってしまったらしく、車を置いていた庭まで舗装してくれて。
作業後、叔父はお礼にセブンスターをカートンで手渡していました。
これが大人の世界なんだなぁと。素敵な光景でした。

ずっと後の事ですが、下町暮らしだった頃の自分は既に変人でして、毎週末朝から晩まで古いスクーターの整備に明け暮れていて。
食事もまともに取らずな自分を観かねた地域の方々は面白がったりでしたが、ドリンクをプレゼントしてくれたり。
そんな縁で、地域に受入れてもらえたのか、顔を覚えてくれた孤独なお婆さんは「硬いから開けておくれ」とペットボトルを差し出したり。
あのポンコツなスクーターの縁でもありました。全く妙なキッカケで。

そんな縁はもう無いだろうと引越した現在の住まいだったのですが。
単車が置ける小さな庭には花壇もあり、好き勝手に向日葵やらチューリップやらを育ててしまい。
小学生の課題の様な単純な園芸だったのですが、緑の成長は案外面白く。ちょっと手間を掛けるだけで勝手に育ってくれて。
別に目立とうと思った訳ではなく、単に成長を見守るのが楽しく。一人暮らしでペットも無責任に飼えぬ立場、ワンシーズンで終わる植物くらいが丁度よく。
庭には蛇口もあるので、水やりも楽なもので。下町のマンション暮らしでも屋上で園芸を楽しんでいたのですが、その屋上には蛇口が無く、朝晩の水やりは一苦労でした。

そんな小さな庭がキッカケで、地域のお婆さん達からは花が咲くと一声掛けられがちでした。そんなタイミングくらいでしか、会話のタイミングも無く。
お婆さん達は開花を楽しみにしていたそうです。そんな縁で、力仕事に困った場面で呼ばれる機会も時々あり。
地域と深く関わってしまうと、面倒な場があるのは引越前の下町でも十分に経験していました。
「あぁ、またやってしまったなぁ」と。

Comment